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ブリッジポート(Bridgeport)は、アメリカ合衆国コネチカット州南西部に位置する都市。ニューヨークの北東約100kmに位置する。人口は144,229人(2010年国勢調査)で、コネチカット州最大の都市である。スタンフォードと共に形成している都市圏はフェアフィールド郡1郡からなっており、人口916,829人(2010年国勢調査)を数える〔American FactFinder . U.S. Census Bureau. 2011年.〕。より広域的には、ブリッジポートは2,200万人以上の人口を抱えるニューヨーク大都市圏の一部をなしている。 ブリッジポートはフライングディスク発祥の地として知られる。もともとフリスビーとは同市に本社を置くパイ会社の名であった。しかしイェール大学の学生がパイ皿を逆さにして投げて遊んでいたところ思いのほかよく飛び、それがフライングディスクの原型となった。そのパイ皿に''Frisbee''という社名が刻印されていたことから「フリスビー」という別名がついた。また、ブリッジポートはジョン・メイヤーの出身地としても知られている。 == 歴史 == ニューイングランドの他地域同様、初期のブリッジポートは農業と漁業に支えられていた。やがて19世紀中盤に入ると、ブリッジポートは水深の深い湾の奥にあったため良い港となり、造船が発達した。また捕鯨の基地にもなった。1840年に鉄道が開通すると、こうした港湾都市としての特徴は一層強まった。 港の存在はブリッジポートの工業化を促した。19世紀後半になると、ブリッジポートでは製粉機、真鍮製部品、馬車、ミシン、鞍、弾薬などの産業が発達した。 1920年代に入ると、ブリッジポートではクー・クラックス・クラン(KKK)が勢力を張るようになった。KKKはコネチカット州全土に支持を広め、全盛期の1925年には15,000人もの支持者を集めた。しかし翌1926年にKKK内部で分裂が起こり、それに伴って衰退、州内各都市ごとの支部で細々と活動を続けるのみになった。 1930年頃、ブリッジポートは500以上の工場を抱える工業都市に発展した。移民も流入し、人口が爆発的に増加した。 しかし第二次世界大戦後、特に1970年代から1980年代にかけては、ブリッジポートは州内の各都市同様、苦難の中に置かれるようになった。アメリカ合衆国北部全体に広がった工業の衰退はブリッジポートでも例外ではなかった。それまで市の経済を支えていた工業の衰退は失業の増加をもたらし、治安を悪化させた。ブリッジポートはやがて殺人と麻薬絡みの犯罪で悪名が轟くようになった。加えて、エイズの感染も広がった。市内の工場跡は軒並み汚染が酷く、市に甚大な環境汚染をもたらしている。また、市の一部は完全に廃墟と化してしまった。 20世紀末から21世紀に入り、ブリッジポートはようやく失業と人口減少から抜け出し、地域のサービス業の中心地として、またニューヨーク大都市圏をなす郊外都市としての役割を担いつつある。比較的住宅価格が安いこともブリッジポートにとっては今や有利に働いている。全盛期に比べて人口は減少したものの、ブリッジポートはコネチカット州最大の都市であり続けている。しかし、保険産業の中心地となった州都ハートフォード、名門イェール大学を抱える学術都市ニューヘイブン、治安の良さを武器にニューヨークの郊外都市として成功したスタンフォードなど他の州内主要都市と比べると、ブリッジポートはまだ州民の間でも見過ごされやすい都市である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ブリッジポート (コネチカット州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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